五輪がきっかけとなる認知度の影響
2024年のパリ五輪、フェンシング競技で日本人初の金メダルを獲得した加納虹輝選手、
おめでとうございます!
世界の頂点に立つことは、日本人として誇れることですよね。
これまでの苦悩や努力が成果に導いたことでしょう。
また、まだまだマイナーな競技はどこで活動しているか、
加納選手のフェンシングとの出会いや活躍について、見てみたいと思います。
加納選手のこれまでのご経歴について
NHKHPより引用
加納選手は、アスリート入社として日本航空に就職され現在に至ります。
これまでの経緯を簡単にまとめると、
愛知県あま市出身
3歳から器械体操をはじめ、水泳も習っていた。
小6から名古屋のフェンシングスクールに通う。
中学卒業後はフェンシングの強豪校、山口県立岩国工業高校へ進学。
早稲田大学フェンシング部へ入部。
大学入学2年後のアジア大会でエペ個人銅メダル、エペ団体で金メダル獲得。
翌年のワールドカップカナダ大会で優勝
といった、輝かしい成績を収めています。
その成績を収められた加納選手はどんな人なんでしょう?
加納選手ってどんな人?
公益財団法人 愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会組織委員会さまより引用
器械体操はご家族の職場近くに教室ができ、やってみる?と誘われ始めたのがきっかけ。
そこの体操教室は寺本明日香選手も通っていた名門の教室でした。
加納選手は初め、習い事や遊び感覚で習っていたのですが、小2からオリンピックを意識するような
練習を行い、なんと、週6で練習に打ち込んでいたようです。
フェンシングのきっかけは、北京オリンピック(2008)年の中継で見た、
太田雄貴選手の試合。当時の加納選手は体操で足を傷めてしまっていたこと、
フェンシングに魅力に興味を感じたことで、転身したと言われています。
また、器械体操で培った技術や柔軟性、体幹は、今のフェンシングに活きているようで、
まさに努力を惜しまないこと、高みを望むことはとても大切なことですね。
そして、日頃は穏やかな気質なのですが、2024年5月のメディア取材では
『フェンシング人生のなかでいまが一番強い。金メダルをとれる可能性はかなり高い』
と、力強い発言をしていました。心の奥底から、金メダルを獲得するという強い気持ちが
今回の結果につながったのでしょうね。
フェンシングの将来性(期待を込めた推測)
今後、フェンシングへの注目が集まってくること
でしょう。
フェンシングスクールや部活動はまだまだ少ないですが、
少しずつ競技人口が増えるにつれ、
幅広い地域で協議が身近になることでしょう。
コメント